女性や子供の幸せを願う神様 店舗正面に安置されております仏像は当家に代々伝わる姥尊(おんばさま)です。姥尊は、当家がこの地に出店する際に新潟県阿賀野市(旧笹神村)の五頭山から勧請したと伝えられています。姥尊信仰は日本海沿岸を中心に北は恐山(青森県)、西は白山中宮平泉寺(福井県)、南は日金山(静岡県)に分布しています。
山岳霊場の姥尊は、加賀藩のうしろだてのもとに立山(富山県)の御師により諸国に広がったとされ日本海沿岸を中心に分布しています。江戸時代、女人往生の霊場であるうば堂のもっとも重要な行事は、秋の彼岸の中日に行われた布橋灌頂会でした。当時、男子のみが極楽往生を遂げるという一般的な仏教観に対し、女性の救済を図る唯一のものとされ、浄土往生を願う女性の参加者が全国から集まったといいます。これに参加した女性には、往生の護符や血盆経、極楽往生の証明書といえる血脈が授けられ、来世が約束されていたといわれています。
右膝を立てた老婆の形相には、厳しさの奥に優しさが見え、願いを早く叶える本願、また女性のあり方や戒めなどが感じられます。実際に姥尊信仰には、子授け・安産・育成など女性や子供の守護神として、さらには女人救済・女人往生・無病長寿の願いが託されていました。加賀藩では、奥方の多大な寄進活動が認められ、農村では女性が一般的に信仰していた記録が残されています。
天平年間(729〜748)に行基菩薩が出湯に逗留の節、霊木に一刀三礼して彫刻したものが華報寺の優姥尊であるといわれています。